幸せの定義。hapyrozeの考える幸せ
皆さんは幸せの定義とは何だとおもいますか?
辞書では「心が満たされること」と書いてあります。スピリチュアルな見解を書かれているものや宗教などでも「人は幸せになるために生まれてきた」という内容が多いように感じます。
「心が満たされること」が幸せだと言うのなら、転じて一瞬で不幸になることも有りえます。
それは「心が満たされること」を他者や物に依存している場合です。
誰かに好かれている、褒められることに心の満足を見出していれば、恋人や伴侶がいないから、誰にも褒められないから不幸だと思ってしまいます。
昨日は褒められたから幸せだったけど、今日は怒られたから不幸だともなってしまいます。
物でも同じですね。欲しかったものを手に入れた時は幸せですが、それが壊れた時は不幸になります。
よって他人や物に由来した幸せは真の幸せではないと言えるでしょう。
では常々幸せだと感じるものは何なのでしょう。
「心が満たされること」を定義とするならば、「今あるものに感謝する」という方法があります。これはスピリチュアルや宗教の世界でもよく言われている内容ですね。
高級ではなくても衣食住があり、高給ではなくても仕事があり、それなりに家族や友人がいて生きていける。それだけで感謝だ。
というものですね。
でも私はそれだと「心が満たされること」はできてないと思います。
それだけで感謝、それだけで満足というのはよほど聖人でないと辿り着けない領域だと思うんですよ。
ほとんどの人は楽しかったり嬉しかったりするから「心が満たされる」んじゃないですか?
でも「他者に好かれてるから楽しい、嬉しい。他者に褒められたから楽しい、嬉しい。コレを持ってるから楽しい、嬉しい。」だとそれが無くなったとき不幸になります。
私は「幸せ=心が満たされること」とは「自分のことが好きで、自分一人でもコレをやってるのが楽しい、やれることが嬉しい」という状態ではないかと考えます。「更にそれを家族や友達、仲間とやるともっと楽しい、嬉しい。コレを使ってやるともっと楽しい、嬉しい。」だったら他者や物がなくても幸せですし、他者や物があることで幸せの度合いが増えます。
他者や物に由来しているとそれが無くなればマイナスですが、自分+他者や物だったら他者や物が無くてもまだプラスです。
そして「自分のことが好きで、一人でもコレをやってるのが楽しい、嬉しい。コレやれることが楽しい、嬉しい」状態というのは、本心から更には魂から湧き出てくる情熱に従うことだと思っています。
この情熱を抑えているから、何をやっても満たされない。
代理として他者や物などに求める。
認めてくれる他者や物がないと不幸だ。
この堂々巡りに陥ってしまうと、中々魂からの情熱に辿り着けません。というか、魂からの情熱があることに気付くことすらできなくなってしまいます。
ぜひご自身の『魂の情熱』について考えてみてください。それが幸福への第一歩となるから。
一人で考えなくてもいいのです。
誰かと一緒に考えてもいいのです。
その誰かに私を選んでいただけると私はさらに幸せです。
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